今回から、Binance Japan の現物 BTC/JPY を戦場候補とした新しいリードラグ研究を始めることにしました。とはいえ、いきなり実装や観測を進めると、途中で「何を仮説として置いていたのか」「何を検証したいのか」が曖昧になりやすい。そこで今回は、BTC の価格発見をどう捉えるのか、Binance Japan に何が遅れて伝わると考えるのか、そして何をもってこの研究を前進・撤退と判定するのかを、研究メモとして先に整理しておきます。
1. 研究対象の定義
今回の研究対象は、Binance Japan の現物 BTC/JPY である。
まずこの対象を先に固定しておかないと、後から「どの市場を見るのか」「何を基準価格とするのか」「何をリード情報候補とみなすのか」がぶれやすくなる。新しい研究を立ち上げるときほど、最初に対象を狭く定義しておくことが重要だと考えている。
今回 Binance Japan を戦場候補に置く理由は3つある。
1つ目は、日本居住者である自分が現実に執行できる市場であること。2つ目は、これまで主に見てきた bitFlyer 側とは戦場を分けられること。3つ目は、国内で扱いやすい会場の中では比較的流動性があり、かつ取扱ペアの種類も多く、今後の拡張余地を持った状態で研究を始められることだ。単に「使えるから使う」のではなく、将来的に対象を広げる余白を持ちながら、最初は一番わかりやすい地点から始めるという意味でも、この市場は都合が良い。
そのうえで、最初の対象を BTC/JPY に限定する。
理由はシンプルで、研究初期にいきなりアルトやマイナーなJPYペアへ広げると、個別材料や板の薄さや参加者の偏りまで同時に背負い込みやすく、何が効いていて何がノイズなのかが見えにくくなるからだ。BTC は暗号資産市場の中でも価格発見の中心に近く、他市場との接続も強い。つまり、Lead-Lag のような「どこで先に価格が動き、どこへ遅れて伝わるか」を見る研究では、最初の観測対象として最も自然な土台になりやすい。
ここで大事なのは、この研究が「Binance Japan の BTC/JPY そのものを深く理解すること」だけを目的にしているわけではないという点だ。
本当に知りたいのは、国内の現物市場に対して、どの外部情報が、どの時間幅で、どの程度遅れて伝わるのかである。Binance Japan の BTC/JPY は、その構造を観測するための最初の実験系として置いている。言い換えれば、今回は「BTC/JPY を分析したい」のではなく、BTC/JPY を使って、国内現物市場における価格伝播構造を調べたい。
また、今回の対象定義では「現物」であることにも意味がある。
もしこれがデリバティブ市場であれば、レバレッジ、資金調達率、清算構造、建玉の偏りなど、暗号資産特有の追加要因が強く入ってくる。もちろんそれらは重要な情報源になりうるが、最初の研究対象としては論点が増えやすい。現物 BTC/JPY を戦場に置くことで、まずは「グローバルな価格発見が国内現物へどう遅れて届くか」を比較的素直な形で観測しやすくなる。複雑な市場を避けるというより、最初の一歩として、観測対象の意味をできるだけ明確にしておくための選択である。
この研究対象の定義から、今回の研究のスコープも自然に決まる。
見るべき対象は Binance Japan の現物 BTC/JPY であり、観測したいのはその短期価格形成であり、そこで探したいのは「外部市場から遅れて伝わる先行情報」である。逆に言えば、この段階ではまだアルトコイン全般の構造や、ニュース・オンチェーン・マクロ資産まで全部を同時に扱うつもりはない。まずは対象を一つに絞り、その上で「この市場は何によって動かされているのか」を順番に切り分ける。今回の研究は、そのための起点として Binance Japan の現物 BTC/JPY を選ぶところから始める。
2. 背景仮説: BTCの価格発見はどこで起こるのか
今回の研究で前提に置いているのは、BTC の価格発見は一つの市場の中で完結しているわけではないという見方である。
たとえば国内のある現物市場で価格が動いたとしても、その変化がその市場の内部事情だけで完結しているとは限らない。実際には、海外の現物市場、デリバティブ市場、為替市場、そして暗号資産市場特有の需給要因が、それぞれ異なる速度と強さで価格形成に関わっているはずだ。つまり、BTC の価格は「一つの場所で決まって全体に配られる」のではなく、複数の場所で部分的に発見され、その結果がずれながら全体へ伝播していくものとして捉える必要がある。
この見方を取る理由は、BTC に安定した単一の価値アンカーが見えにくいからでもある。
株式であれば企業収益、債券であればクーポンや償還価値のような比較的明示的な基準があるが、BTC はそうした意味での単純な評価軸を持たない。もちろん、希少性、ネットワーク効果、技術基盤、採用可能性、制度との関係など、価値を支えると考えられる論点は存在する。しかしそれらは市場参加者の間で一様に理解されているわけではなく、しかもどの要素をどの程度重視するかもばらつきが大きい。結果として、同じ出来事に対しても市場参加者ごとの解釈がずれやすく、そのずれが複数市場に分散して現れやすいと考えている。
ただし、ここで注意したいのは、「価値が曖昧だから価格が適当に動く」と言いたいわけではないということだ。
言いたいのはむしろ逆で、価値評価が不安定で異質だからこそ、価格発見の主導権が一箇所に固定されにくいということである。ある局面ではグローバルな BTC/USD 市場が先に反応するかもしれないし、別の局面では perpetual や futures のようなレバレッジ市場が先行するかもしれない。あるいは JPY 建てで見ている以上、為替変動が相対価格の見え方を先に動かすこともある。価格発見は常に同じ場所で起こるのではなく、市場構造や局面ごとに先導役が入れ替わる可能性があるというのが今回の基本的な見方である。
さらに重要なのは、仮想通貨市場では裁定があっても、それが常に瞬時かつ完全に働くわけではないという点だ。
理論上は、関連する市場間に価格差や情報差があれば、それを埋める動きが出るはずである。だが、実際には通貨建ての違い、現物とデリバティブの違い、規制や口座制約、送金・在庫・手数料・板厚の差、参加者層の違いなどによって、価格差や情報差はしばらく残ることがある。つまり、裁定が存在することと、価格発見が完全に同期することは同義ではない。この「埋まるはずなのに、すぐには埋まらない」部分こそが、Lead-Lag 研究の対象になる。
この観点から見ると、BTC の価格形成を考えるときに重要なのは、「本質価値があるかどうか」を直接決めることではない。
今回の研究で必要なのは、もっと手前の、どこで先に価格が動き、どこに遅れて伝わるのかという構造の把握である。価値論は背景としては重要だが、それ自体をここで結論づける必要はない。研究として扱うべきなのは、複数市場にまたがる価格発見の分散と、その分散が非同期に伝播するという事実仮説の方だ。今回の Lead-Lag 研究は、その構造が Binance Japan の BTC/JPY にも現れているかを見に行くものとして位置づけている。
したがって、この章で置いておきたい背景仮説は次のようなものになる。
BTC の価格発見は、単一市場ではなく複数の市場・商品・通貨にまたがって分散して起こる。しかも、その間の裁定は不完全であり、情報や価格変化は同時には反映されない。ゆえに、ある市場で先に織り込まれた変化が、別の市場へ遅れて伝播する構造が生まれうる。
今回の研究は、この背景仮説を前提に、Binance Japan の BTC/JPY がその伝播の受け手としてどう振る舞うのかを見ていく。
3. 作業仮説: Binance Japanに遅れて伝わるものは何か
前章では、BTC の価格発見が単一市場で完結せず、複数市場に分散して起こるという背景仮説を置いた。
では、その前提に立ったときに、Binance Japan の現物 BTC/JPY には何が遅れて伝わるのか。ここからは、より実務的な作業仮説として整理しておきたい。
まず最初に明確にしておきたいのは、「外部から来る情報」と言ったとき、それは必ずしもニュースやマクロ材料のような大きな話だけを指しているわけではない、ということだ。
今回ここで言う「外部」とは、Binance Japan 自身の板や約定の外側で先に価格発見が起きる場所を意味する。つまり、国外市場であれ、国内他市場であれ、為替市場であれ、あるいは暗号資産市場内部のデリバティブ市場であれ、Binance Japan より先に情報を価格へ反映するものはすべて候補に入る。重要なのは、その情報源がどこにあるかという名前よりも、Binance Japan より先に動くかどうかである。
そのうえで、現時点での第一候補は、やはり グローバルな BTC/USD 市場 である。
Binance Japan の BTC/JPY は JPY 建てで取引されているが、暗号資産全体の価格発見の中心は依然としてドル建て市場に近いはずだ。もしそうであれば、Binance Japan の価格はまずグローバルな BTC/USD の変化を受け取り、そのあと為替を通して JPY 建て価格へ変換される、という流れが基本形になる。この意味で、最初に疑うべきなのは「国内市場独自のシグナル」よりも、グローバル BTC 価格の遅延輸入である。
次に候補になるのが、USD/JPY である。
BTC/JPY は、単純化すれば BTC/USD と USD/JPY の掛け算のような形で見える。したがって、Binance Japan の BTC/JPY の変動の中には、BTC そのものの変動だけでなく、為替の変動によって見かけ上動いている部分も含まれるはずだ。ここを分けずに Lead-Lag を見に行くと、「BTC の先行情報を見つけたつもりが、実は為替の影響を拾っていただけだった」ということが起こりうる。したがって今回の作業仮説では、BTC/USD と USD/JPY は最初から分解して扱うべき基礎成分として位置づける。
ただし、今回の研究をそれだけで終わらせるつもりはない。
なぜなら、それだけでは「Binance Japan は単に輸入価格を受け取っているだけ」という話で終わってしまい、Lead-Lag 研究としてはかなり弱いからだ。ここで次に疑いたいのが、暗号資産市場内部で先に立ち上がる価格発見である。具体的には、perpetual や futures のようなデリバティブ市場、あるいはその背後にある需給やレバレッジの変化である。これらは単なる換算ではなく、市場参加者のポジションや期待や強制清算の圧力を通じて、現物市場より先に価格を動かす可能性がある。つまり、今回の作業仮説では、グローバル現物価格だけでなく、crypto-native な価格発見要因も主要候補として扱う。
この点は、今回の研究の立ち位置にも関わる。
私はもともと「仮想通貨に入ってくるお金は外から来る」という感覚を持っているが、短期価格形成まで全部それで説明できるとは思っていない。むしろ短期では、暗号資産市場の内部で生成される需給の偏りや、先物・perp 側の圧力が先に動き、それが現物市場へ伝わる可能性の方が高い場面もあるはずだ。したがって、「外部から来る情報」を TradFi 由来に限定するのではなく、Binance Japan の外側にある crypto-native な先行源も含めて見る、というのが今回の作業仮説の重要なポイントになる。
ここまでを整理すると、現時点での候補情報源は、大きく3層に分けて考えることができる。
第1層は、機械的な輸入価格成分としてのグローバル BTC/USD と USD/JPY。
第2層は、暗号資産市場内部の先行価格発見としての perp / futures や関連する需給要因。
第3層は、そのさらに外側にある、ニュース、attention、技術・制度・採用に関する期待変化のような上位要因である。
ただし、研究の初期段階でいきなり第3層まで広げると、解釈可能性が急に下がる。したがって今回はまず、第1層と第2層を中心に、Binance Japan の BTC/JPY に対して増分的な先行情報を持つものがあるかを調べる方針で進める。
この章で置いておきたい作業仮説をまとめると、次のようになる。
Binance Japan の現物 BTC/JPY には、グローバル BTC/USD と USD/JPY による機械的な輸入価格成分がまず存在する。そのうえで、それだけでは説明しきれない短期価格変動の一部については、グローバルな現物・デリバティブ市場や暗号資産市場内部の需給要因が、Binance Japan 自身より先に価格へ織り込み、それが遅れて伝播してくる可能性がある。
今回の Lead-Lag 研究は、この仮説を単なる直感で終わらせず、どの候補が本当に先行しているのかを順番に切り分けていく作業として進めていく。
4. 帰無仮説をどう置くか
Lead-Lag 研究を始めるときに一番気をつけたいのは、「先に動いているように見えるもの」をそのまま先行情報だと解釈してしまうことだ。
実際には、ある市場が先に動いて見えても、それが本当に増分的な情報を持っているとは限らない。単に同じ基礎価格を別の通貨建てでより速く反映しているだけかもしれないし、サンプリングのずれや板の更新頻度の違いでそう見えているだけかもしれない。あるいは、Binance Japan 自身の価格に含まれている自己相関や板の歪みを、外部市場の力だと見誤っている可能性もある。だからこそ、この研究では最初から帰無仮説を明確に置くことが重要になる。
今回の研究で置きたい帰無仮説は、かなり素朴なものでよい。
つまり、Binance Japan の現物 BTC/JPY の短期価格変動は、グローバル BTC/USD と USD/JPY による機械的な輸入価格成分と、Binance Japan 自身の過去価格・板情報だけでほぼ説明できる、という仮説である。もしこの仮説が十分に成り立つなら、外部市場の追加情報をどれだけ持ち込んでも、見かけ上の相関は出ても、実際には増分的な予測力はほとんどないことになる。Lead-Lag があるように見えても、それはただの輸入価格の写像か、自市場の慣性の言い換えにすぎない。
この帰無仮説を置く意味は大きい。
まず、研究の出発点を「外部市場に先行性があるはずだ」ではなく、**「まずは無いものとして疑う」**側に寄せられる。これは、見つけたいものがあるときほど必要な姿勢だと思っている。特に Lead-Lag のように、視覚化すると何かしら先行しているように見えやすいテーマでは、最初に疑う力を失うと、すぐに“それっぽい構造”に引っ張られてしまう。だから今回の研究では、外部情報源の有効性を前提にするのではなく、自市場情報と基本的な輸入価格だけで十分ではないかを先に検討する。
ここで重要なのは、帰無仮説を単なる形式的な対立概念として置くのではなく、実務上の比較対象として置くことだ。
つまり、この研究で本当に知りたいのは、「外部情報源を加えたモデルが当たるかどうか」ではなく、何も加えない基準モデルに対して、どれだけ改善するのかである。基準モデルとは、たとえば Binance Japan 自身の過去価格、スプレッド、板情報、約定情報、そこに BTC/USD と USD/JPY を加えたものになる。このベースラインで十分に説明できるなら、いくら外部市場を足しても研究上の意味は薄い。逆に言えば、外部市場の候補を評価するときは、必ずこの基準モデルを上回れるかどうかで判断する必要がある。
また、この帰無仮説は「Lead-Lag が全く存在しない」という強い否定ではない。
ここで否定したいのは、“見かけ上そう見えるだけ”の Lead-Lag である。たとえば、グローバル BTC/USD が先に動いて、その結果が単純に JPY 建てへ変換されているだけなら、それは確かに Binance Japan に対して“先”ではあるが、研究として知りたい「増分的な先行情報」とは少し違う。今回の研究で拾いたいのは、そうした機械的な輸入価格を引いたあとでもなお残る、Binance Japan 自身ではまだ十分に織り込めていない先行圧力である。帰無仮説を置くことで、その線引きがしやすくなる。
さらに言えば、この帰無仮説は、研究の進め方そのものにも制約を与えてくれる。
もし最初から多くの候補市場や多数の特徴量を並べてしまえば、どれかが偶然に効いて見えることは十分ありうる。だが、それでは「何か見つかった」以上のことは言いづらい。今回の研究では、まず基準モデルを先に作り、そこから一つずつ候補情報源を足していくことで、何が本当に追加説明力を持っているのかを順番に切り分けたい。帰無仮説は、その比較の土台になる。
したがって、この章で置いておきたい帰無仮説は次のようになる。
Binance Japan の現物 BTC/JPY の短期価格変動は、グローバル BTC/USD と USD/JPY による輸入価格成分、および Binance Japan 自身の過去価格・板・約定情報だけでほぼ説明できる。したがって、外部市場の情報源は、少なくとも安定した増分予測力を持たない。
今回の Lead-Lag 研究は、この帰無仮説を出発点として置き、それでもなお説明しきれない部分があるのか、あるならそれはどの市場・どの時間幅・どの局面で現れるのかを見に行く作業として設計する。
5. 検証順序をどう設計するか
ここまでで、研究対象、背景仮説、作業仮説、そして帰無仮説を置いた。
次に必要なのは、何をどの順番で確かめるかである。Lead-Lag の研究は、候補市場や候補指標を増やし始めるとすぐに複雑になる。しかも、複雑になったからといって、そのまま有効な構造へ近づけるとは限らない。むしろ研究初期ほど、論点を増やしすぎることで「何が効いていて、何がただの見かけなのか」が見えなくなりやすい。だから今回は、最初から広く取りに行くのではなく、近いものから順に、機械的なものから順に、解釈しやすいものから順に潰していくという順番で設計しておきたい。
最初の段階でやるべきことは、Binance Japan の現物 BTC/JPY をそのまま見ることではなく、まず基準価格を作ることである。
前章で置いた帰無仮説に沿えば、BTC/JPY の短期変動には、グローバル BTC/USD と USD/JPY による機械的な輸入価格成分がかなり含まれているはずだ。であれば、いきなり raw の BTC/JPY に対して外部市場との相関や先行性を見に行くのではなく、まずは「どこまでが輸入価格で説明できるのか」を先に切り出す必要がある。言い換えれば、最初に作るべきものは、Binance Japan の fair value 的な基準系列と、そこからの残差である。研究として見たいのは、最終的にはこの残差側に残るものだ。
この順番を取る理由は明確で、もし raw の系列だけを見てしまうと、単に「BTC/USD が先に動いて、そのあと BTC/JPY が追いかけている」という当然の構造と、より本質的な先行情報の違いが分かりにくくなるからだ。
しかも JPY 建てである以上、USD/JPY の変動まで混ざってくる。これを分けないまま「何か先行していそうだ」と言っても、研究としてはかなり弱い。したがって検証順序としては、まず BTC/USD × USD/JPY による説明可能部分を押さえ、その残りに対して次の候補を当てる、という形を基本にする。
そのうえで、次に見るべきなのは、Binance Japan の外側にある候補情報源を一気に全部並べることではなく、近い順に試すことである。
今回の研究では、最初の候補を大きく三段に分けて考えている。第一に、グローバルな BTC 現物市場。第二に、perpetual や futures のようなデリバティブ市場。第三に、それ以外の上位要因である。研究初期に重要なのは、このうちどれが「一番先に疑うべきか」を決めておくことだと思っている。私としては、まずは グローバル BTC 現物と BTC デリバティブ市場を主候補に置く。理由は単純で、Binance Japan の BTC/JPY に最も近く、価格発見との距離も近いからだ。ニュースや attention のような上位要因は確かに重要かもしれないが、研究初期の段階でそこまで広げると、説明が一気に曖昧になる。
この段階での評価方法も、できるだけ素朴なものから始めるべきだと考えている。
最初から複雑なモデルを組むのではなく、まずはラグをずらした比較、単純なクロスコリレーション、残差に対する候補系列の回帰、rolling な out-of-sample 比較など、何がどの方向に、どの時間幅で効いているかを人間が追いやすい形で見る。Lead-Lag の研究では、精度を高めることそのものよりも、構造を見誤らないことの方が重要だ。だからこそ、初手からモデル性能を競うのではなく、「どの候補が基準モデルに対して増分価値を持っているか」を順番に確認する形にしたい。
ここで大事なのは、候補情報源の評価を、常に基準モデルとの差分として行うことだ。
前章で置いた帰無仮説に対応する基準モデルには、Binance Japan 自身の過去価格・板・約定情報と、BTC/USD・USD/JPY の輸入価格成分が入る。そこに候補情報源を一つずつ加えたとき、どれがどれだけ改善するのかを見る。この順番を守れば、「効いたように見えるが、実は輸入価格の言い換えだった」というものをかなり落としやすくなる。逆に、基準モデルに対して安定した改善を持つものがあるなら、それは少なくとも「何かを追加で運んでいる」候補として残す価値がある。
そして、その次の段階で初めて、執行可能性を見る。
ここも順番が大事で、いきなりトレード可能かどうかに飛ぶのではなく、まずは「増分情報があるか」を確認し、そのあとで「それは取れるのか」を見る。もし最初からコスト込みの最終形だけを見に行くと、何も見えなくなったときに、構造が無いのか、コストで潰れているのか、執行の実装が悪いのかが分からなくなる。今回の研究では、まず構造を見て、そのあとで手数料、スプレッド、スリッページ、板の厚み、遅延を加味して、個人の現実的な執行条件でも残るのかを切り分ける順序を取りたい。
最後に、残った候補については、レジームごとの効き方を見る。
Lead-Lag が仮に存在するとしても、それが常に同じ強さで出るとは考えていない。高ボラ時に強いのか、板が薄いときだけなのか、日本時間では弱く欧米時間で強いのか、あるいはローカル premium が拡大している局面でだけ見えるのか。こうした差を見ないと、「ある時は効くが、ない時は全く効かない」ものを一つの平均値で潰してしまうことになる。したがって、検証順序としては、構造の有無 → 増分価値 → 執行可能性 → レジーム依存、という流れを採用するのが自然だと考えている。
整理すると、今回の検証順序は次のようになる。
まず、Binance Japan の BTC/JPY に対して fair value 的な基準系列を作り、raw の動きのうちどこまでが機械的な輸入価格で説明できるかを確認する。次に、その残差を対象にして、グローバル現物市場やデリバティブ市場が増分的な先行情報を持つかを順番に調べる。そのあとで、残った候補について執行コスト込みの評価を行い、最後にレジームごとの有効条件と無効条件を切り分ける。
この順番を守ることで、研究が途中で「何となく効きそうなものを増やす作業」に流れるのを防ぎ、どこまでが当然の輸入価格で、どこからが本当に取りにいく価値のある構造なのかを、できるだけ事実ベースで判定していきたい。
6. 成功条件と撤退条件
ここまでで、研究対象、背景仮説、作業仮説、帰無仮説、検証順序を定義した。
最後に必要なのは、この研究を何をもって前進とみなし、どこで見切るのかを先に決めておくことだと思っている。新しい Lead-Lag 研究は、観測対象も候補市場もいくらでも増やせる。だからこそ、成功条件と撤退条件を曖昧にしたまま進めると、「まだ何かあるかもしれない」と延命し続ける構造になりやすい。今回はそれを避けるために、研究の出口も先に定義しておく。
まず、今回の研究でいう成功は、「何か先行していそうな市場が見えた」というレベルではない。
本当に欲しいのは、Binance Japan の現物 BTC/JPY に対して、基準モデルを超える増分的な先行情報源があり、それが個人の現実的な執行条件でもなお意味を持つという確認である。したがって、成功条件の第一は、単なる相関や見かけの先行ではなく、fair value 的な基準系列と自市場情報を入れたうえでも残る追加説明力が確認できることになる。BTC/USD と USD/JPY の輸入価格成分、そして Binance Japan 自身の過去価格・板・約定情報を押さえたあとで、それでもなお特定の外部市場が安定して効くのであれば、その時点でこの研究は一段前に進んだと言える。
ただし、それだけではまだ足りない。
研究として意味があるだけでなく、最終的には執行戦場として使える可能性があるかどうかを見たい以上、成功条件の第二は、コスト込みでの優位性が確認できることである。ここで言うコストには、手数料、スプレッド、スリッページ、板の厚み、遅延などが含まれる。予測の方向が合っていても、実際には取れないということは十分ありうる。これまでの観測でも、構造自体は見えていても執行コストに届かないケースは何度もあった。だから今回も、プレコストでの見かけ上の優位性だけでは成功とは呼ばない。構造があることと、取れることは別問題であり、その両方を超えて初めて主戦場候補として残るという基準にしておきたい。
さらに、成功条件の第三として、個人が到達可能な時間幅で残ることを置く。
今回の研究は、HFT と同じ土俵で最速の価格伝播を取りに行くことを目的にしていない。むしろ、自分のような個人アルゴトレーダーでも扱える、秒から数十秒程度の時間幅で意味が残る構造を探すことに意味がある。もし仮に very short な Lead-Lag が観測できたとしても、それが実質的にサブ秒や極端な低遅延を要求するものであれば、研究テーマとしては面白くても、自分の実行戦場としては優先順位が落ちる。したがって、「存在するか」だけでなく、個人の執行条件で再現可能かを成功条件の中に含めておく。
もう一つ、成功条件として重要なのは、どの局面で効き、どの局面で効かないのかを言語化できることだ。
Lead-Lag は、仮に存在するとしても常時一定ではないはずだ。高ボラ時だけ強いかもしれないし、ローカル premium が拡大している局面でだけ生きるかもしれない。逆に、平時にはほとんど意味がなく、局所的なイベント時だけ出る可能性もある。であれば、研究の成功は「平均すると少し効いた」という話ではなく、有効条件と無効条件を切り分けられることにも置くべきだと思っている。つまり、勝ち筋があるなら、それは「いつでもどこでも使える万能構造」としてではなく、「この条件なら使える」という形で定義される必要がある。
逆に、撤退条件も明確にしておく。
第一の撤退条件は、fair value 的な基準系列と自市場情報だけでほぼ説明が尽きてしまい、外部市場を足しても安定した増分価値が確認できないことである。この場合、外部市場が先に動いて見えても、それは単に輸入価格の反映や見かけ上のズレにすぎない可能性が高い。Lead-Lag を探しているつもりでも、実際には「当然そう動くもの」を複雑に言い換えているだけかもしれない。そう判断した時点で、この仮説は一度切るべきだと思っている。
第二の撤退条件は、プレコストでは見えても、コスト込みでは一貫して届かないことである。
これは以前の研究でも経験した論点で、構造自体があることと、戦場として成立することは別である。もし増分情報源が見つかったとしても、それが一貫して執行コストに負けるのであれば、少なくとも現時点の自分の戦場としては優先順位を下げる必要がある。その場合、研究成果として「構造はあるが取れない」と整理する価値はあるが、主線として抱え続ける理由は弱い。
第三の撤退条件は、有効性が特定期間や特定データにだけ偏っていて、out-of-sample で再現しないことである。
研究初期には、何かしらそれっぽいものは見つかると思う。だが、それが sample 依存で、期間をずらしたりレジームをまたいだりすると消えるのであれば、研究としてはかなり弱い。もちろん、局面依存の構造がある可能性は否定しないが、それでも最低限、「どの局面で効くのか」が説明できなければ、単なる偶然との区別がつきにくい。したがって、再現性のないものは、たとえ一時的にきれいに見えても、撤退候補として扱う。
第四の撤退条件は、成立に必要な構造が複雑すぎることである。
たとえば、あまりにも多くの候補市場や特徴量を同時に入れないと成立しない、あるいは期間ごとに有効な情報源が総入れ替えになる、という場合である。そうした構造は、研究として説明しにくいだけでなく、実戦に乗せたときにも壊れやすい。今回の研究では、最終的に「何を見ればよいのか」が少数の支配的なソースに集約されることを期待している。逆に言えば、絞れない構造は、その時点で主線候補としては弱いという扱いにしておく。
整理すると、今回の研究の成功条件は、
基準モデルを超える増分的な先行情報源が確認でき、それがコスト込みで、個人が扱える時間幅で、かつ一定の局面条件のもとで再現することである。
一方で撤退条件は、
基準モデルでほぼ説明が尽きること、コスト込みで届かないこと、out-of-sample で再現しないこと、あるいは構造が複雑すぎて少数の支配的ソースへ整理できないことである。
今回の研究では、何か見つけること自体を目的にしない。
大事なのは、「ある」と言うための条件と、「ない」あるいは「今の自分には使えない」と言うための条件を、あらかじめ言葉にしておくことだと思っている。そうしておかないと、研究は簡単に希望や期待に引っ張られる。だから今回は、始める前の段階でここまで定義しておき、以後はこの基準に照らして、事実ベースで進めるか、切るかを判断していきたい。