今週のクリプト領域の情報を調べていたところ、清算カスケード(暗号資産・仮想通貨や先物取引などの市場で、価格の急変により強制ロスカットが連鎖的に発生し、さらに価格を下落・または上昇させる現象)に関する興味深い研究を見つけました。
そこから少し掘り下げて考えているうちに、
「清算が起きた後を観測するのではなく、清算連鎖に対して市場のどこが脆くなっているのかを事前に観測できないだろうか」
という研究テーマが出てきました。
そこで今日は、既存の市場観測機を拡張し、この仮説を検証するためのデータ収集・観測基盤を作り始めています。
なお、現時点で清算の前兆を検出できているわけではありません。
今回はあくまで、
「清算脆弱性のようなものは観測可能なのか」
を調べるための研究を始めた、という段階です。
きっかけは清算カスケードに関する2本の研究
今回のきっかけになったのは、2026年7月末から8月初旬に公開された2本の研究です。
1本目では、2022~2025年に発生した複数の大規模な暗号資産清算イベントを対象として、価格・建玉・注文フローなどに共通する「早期警戒シグナル」が存在するのかが検証されています。
しかし、すべてのイベントに共通して機能する単一の指標は確認されませんでした。
価格に前兆らしい変化が出るイベントもあれば、突然のニュースなどをきっかけに急激に状態が変化し、事前の兆候がほとんど確認できないイベントもあります。
さらに続編では、
「そもそも清算カスケードは、本当に清算が次の清算を生み続ける単純なドミノ倒しなのか」
という部分まで踏み込んで検証されています。
こちらでは、2025年10月の大規模イベントについて、単一取引所内部だけを見ると清算の自己増殖性はかなり弱く、むしろ、
Shock × Map-in-Path × Liquidity Withdrawal
つまり、
- 最初にどれだけ大きなショックが入ったか
- 価格が動く経路上にどれだけ清算ポジションが存在したか
- その瞬間に流動性がどれだけ失われたか
という組み合わせの方が、イベントの規模を説明しやすいのではないかとされています。
この考え方がかなり面白いと感じました。
「清算予測」より「清算脆弱性」を見たい
最初は、
「清算が起きる前兆を探す研究」
くらいに考えていました。
ただ、調べていくと私が期待していたこととは少し違うことも見えてきました。
例えば、突然大きなニュースが出れば、事前に何日もかけて前兆が現れるとは限りません。
そのため、
「いつ清算が始まるかを予測する」
ことを直接の目的にすると、かなり難しそうだということです。
一方で、
「ショックが入った場合に、現在の市場がどの程度壊れやすい状態なのか」
なら観測できる可能性があります。
例えるなら地震予知よりも耐震診断に近いです。
地震が明日の何時に来るかは分からなくても、
「この建物は柱が弱い」
「こちらは地盤が弱い」
「こちらは比較的余裕がある」
といった状態は調べられます。
今回作ろうとしているものもそれに近く、個人的には仮に
「清算脆弱性探知機」
と呼んでいます。

何を見れば「脆弱性」が分かるのか
もちろん、現時点ではそこが分かっていません。
そこで最初から一つの「脆弱性スコア」を作るのではなく、市場状態をいくつかの要素へ分解して観測することにしました。
現在のPhase 1では、大きく3つを対象にしています。

1.レバレッジの状態
Open Interest(OI)、Funding、Basisなどを利用して、市場にどの程度ポジションが積み上がっているのかを観測します。
ただし、
「OIが高い=危険」
とは考えません。
OIが増えていても、ロングなのかショートなのか、ヘッジなのか、裁定取引なのかによって意味は変わります。
まずは意味付けをせず、状態変数として蓄積します。
2.流動性の状態
板の厚さ、スプレッド、スリッページ、実効価格などから、
「今、大きな注文が入ったときに市場がどの程度耐えられるか」
を見ます。
特に興味があるのは、平常時の流動性そのものよりも、
市場が動いたときに流動性がどの程度急速に失われるか
です。
今回読んだ研究でも、大規模清算時には価格インパクトが急激に増加していました。
3.注文フローの状態
買いと売りの偏り、取引強度、一方向への注文フローの持続などを観測します。
1本目の研究では、複数の清算イベントにおいてtaker order-flowの分散が事前に圧縮するという興味深い傾向も報告されています。
ただし、私自身もこれを個別イベントを予測できる警報とは位置づけていません。
そのため、これもまずは「本当に再現するのか」を確認する対象です。
実装後は、これらの状態を同じ時間軸上で確認できるようになりました。
例えばレバレッジ側ではOI、Basis、Fundingを、流動性側では板厚、注文サイズごとの実効価格、stablecoinの流動性・peg状態などを観測しています。

もちろん、OIが増えているから危険、板が薄いから暴落する、と単純に判断するものではありません。
今回知りたいのは、こうした複数の市場状態がどのように組み合わさったときに、その後の価格挙動が変化するのかです。
まだ「清算マップ」は作れない
将来的には、
「BTCは現在価格から2%下に清算ポジションが集中している」
「SOLは価格近傍の清算密度が高いうえに板も薄い」
といった形で、トークンごとの脆弱性を比較できれば面白いと思っています。
ただし、これはまだ先です。
現在持っているOIやFundingだけでは、
実際にどの価格帯へどれだけの清算ポジションが存在するか
までは分かりません。
それを無理やり推定して「清算マップ」と呼んでも、かなり怪しいものになります。
そのため現段階では、
レバレッジが積み上がっていること
と、
清算価格がどこに集中していること
を明確に分けて扱います。
Liquidation Geometryについては、追加データを取得したうえで別途研究する予定です。
既存の観測機はかなり流用できそうだった
新しいテーマなので別システムをゼロから作ることも考えました。
そこで既存リポジトリを監査したところ、結論は、
「データ基盤は共有し、研究エンジンは分離する」
という形になりました。
既存観測機にはすでに、
- 複数市場の価格・板情報
- OIやFundingなどのデリバティブ情報
- 流動性関連データ
- 過去の価格乖離とその後の結果
- 時系列データの保存基盤
などがあります。
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そのため、新しく全部集め直す必要はありませんでした。
一方で、現在動いている価格計算や売買判断の処理へ今回の研究ロジックを直接混ぜるのは責務が違います。
そこで、
既存観測機 → 保存データ → 読み取り専用のMarket Fragility研究エンジン
という形で分離しています。
既存システムを壊さず、観測データだけ共有する構造です。
最初に調べるのは「同じ乖離でも意味が変わるのか」
Phase 1で特に調べてみたいことがあります。
これまで価格乖離を見るときには、
「基準価格から何bps離れているか」
という乖離の大きさそのものを中心に見てきました。
しかし今回の考え方を入れると、
同じ5bpsの乖離でも、市場状態によって意味が違うのではないか
という疑問が出てきます。
例えば、
- 流動性は正常
- レバレッジも通常
- 注文フローも中立
という状態の5bps乖離なら、単純な一時的歪みかもしれません。
一方、
- 板が急速に薄くなっている
- OIが増加している
- 注文フローが一方向へ偏っている
という状態で発生した同じ5bpsなら、
それは「元へ戻るべき乖離」ではなく、
市場全体が新しい価格へ移動している途中
なのかもしれません。
この違いがデータとして確認できるかを最初に調べます。
観測機は動いた。ただし研究結果はまだない
現在、Phase 1の研究エンジンでは状態変数の生成と保存が始まっています。

一方で、この段階では価格乖離の結果と結合できたサンプルはまだごく少数です。
つまり、観測パイプラインは動き始めましたが、「どの状態が清算脆弱性を示すのか」はまだ分かっていません。
ここを混同しないことが今回かなり重要だと考えています。
まず十分なデータを蓄積し、通常時・市場加熱時・急変時を比較します。そのうえで、同じ価格乖離でもレバレッジや流動性、注文フローの状態によってmean-reversionの結果が変わるのかを確認します。
さらに将来的には、実際の大規模清算イベントまで遡ってreplayし、どの変数が事前に変化していたのかを検証する予定です。
今は「答え」を作る段階ではなく「測れる状態」を作る段階
今日やっていることを整理すると、
市場を観測する
↓
状態変数を計算する
↓
継続保存する
↓
ダッシュボードで確認する
↓
後から同じ時間帯を再検証できる
という研究パイプラインを作っています。
Grafanaにも反映し、
「今どのデータが取得できていて、どんな状態になっているか」
を目視できるようにする予定です。
ただしGrafanaはあくまで窓です。
重要なのは、その裏側でデータが正しく蓄積され、
数週間後や数か月後に市場が大きく動いたとき、その直前まで巻き戻して検証できること
です。

Phase 1の観測パイプラインが動き始めた
記事を書いている時点で、Phase 1の観測基盤はひとまず動作するところまで実装できました。
既存の市場観測機が取得・保存しているデータを読み取り専用で利用し、そこからレバレッジ・流動性・注文フローに関する状態変数を生成し、研究用データとして蓄積する構成です。
さらにGrafanaにも接続し、データ取得のfreshnessや各状態変数が継続して更新されていることを確認できるようにしました。

ここで重要なのは、Grafanaに表示されている数字をそのまま「危険度」として使っているわけではないことです。
現段階では、各指標を一つのFragility Scoreへまとめず、レバレッジ・流動性・注文フローなどを独立した状態変数として保存しています。
まず市場が通常時からどのように変化するのかを記録し、その後に大きな値動きや清算イベントが発生したとき、どの変数が先に変化していたのかを後から検証するためです。
市場が再び温まったときが本番
この研究は、現在すぐに成果が出るとは限りません。
むしろ市場が再び加熱し、
価格上昇とともに、
- OIが増える
- Fundingが変化する
- 注文フローが偏る
- 流動性が変化する
- 複数トークンが同期し始める
といった状態が現れたときが面白そうです。
その後実際に大きな値動きや清算が起きたとき、
何が先に変化していたのか。
逆に、
脆弱に見えたのに何も起きなかったケースでは何が違ったのか。
この両方を集める必要があります。
まとめ
現時点の研究仮説は、
「清算カスケードへ発展しやすい市場状態は存在し、レバレッジ・流動性・注文フローなど複数の状態変数から、その脆弱性を観測できる可能性がある」
というものです。
今やっているのは、仮説を証明することではなく、
仮説を検証できる観測装置を作ること
です。
今後データを蓄積し、実際の市場急変時にどの変数が意味を持ったのかを確認します。
そして何も見つからなければ、その仮説は捨てます。
逆に再現性のある変化が見つかれば、そこから初めて「清算脆弱性探知機」と呼べるものへ発展させます。
今回はそのための配管工事を始めた、という開発記録でした。
それでは、また。